2日ぶりに弓道の練習へ。 参段を受けて落ちた先輩と一緒に、先輩や先生に謝りまくり、いつとは明示せずに「またがんばりますのでよろしくお願いします」とお願いしてきた。 しばらくがんばりたくないのが正直なところだが、参段になりたいという意志を「がんばる」以外にどう表現していいのかわからない。
先生からは「技術的には受かるものを持っているのに、勝負の場で控えめになりすぎてしまう。それがうち(の地区)の弱いところ」と言われる。たしかにいざという場で弱いのだが、それ以前に普段の練習で指摘されることは多いし解決しきっていないし、審査が迫ってきてかえって崩れたところもあった。それは先生に頼るところではなく、地区の傾向に甘んじるところでもなく、自分の心が解決すべきところなんだろう。 どうしたら本当の意味で強くなれるのか。 わからないけど、ゆっくり歩いていこう。弓道は90代になってもできるのだから。
練習では、調子は絶好調とはいえないまでも、悪くない。 先生に少し肩の入れ方を指摘されつつ、最後は皆中で終了。 「なんで審査でそれが出ないかな〜?」「最後の射が審査で出ていたら受かってたのにね」などと 各方面から突っ込まれる。 「あはは、それが審査っすよー」と笑って返す。 ツッコミに対して笑えるようになった。先週も笑って返してはいたが、どこか引きつった笑いだった。 引いていて久々に楽しいと思えた。 先週のような、はずれると胃のあたりがきゅ〜っとなって息苦しくなる状態にならなかった。 「惜しかったね」という一言すらも心を圧迫してくるような状態から抜けられた。 それが単純に嬉しい。
そりゃあ、はずれるのは嫌だし何がまずかったのかは考えるけれど、その過程自体がもともと楽しかったんだし、考えてやってみたことがうまくはまった時はもう最高で。 そんな気分に戻れた気がする。 楽しいという気持を感じられるのはいいなあ、と思う。
好きなことであっても、ストレスをかけ続けながらやると、続けることすらできなくなってしまう。 懸命になりすぎて楽しかったはずのことが楽しめなくなり、むしろトラウマになってしまうのは、もうごめんだ。 自分の意志で会社をやめて院に入ってドクターまで行って学位も取ったけれど、今も学会誌を読んだり教員公募の案内を見たりするだけで動悸がして数日ぐらい言語がうまく操れなくなってしまう。好きでやっていたことのはずなのに、もはや苦しい記憶しか残っていないし、身体が全力で拒否してくる。 研究は好きなのに、こんな状態ではもうそんな活動はできそうにない。 好きなことをやるほどにストレスとなって自分を圧迫し、できないものへと変貌する、そんな状況はこりごりだ。 弓道でそうなるのだけは、絶対に回避したい。
今日の晩ごはん。 肉じゃが、がんもどきと青菜の含め煮、大根のナムル、カブとカブの葉のみそ汁。 | |