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はじめての百人一首


 この「つぶやき」だが、書いていて滅入るぐらいに暗いんで、さすがに最近更新をさぼっていた。久々に復活するんだから、ちょっと趣向を変えてみることにしよう。

 で、今回は、私と「小倉百人一首」との出会いの話だ。

 自慢じゃないが、私は小倉百人一首…藤原定家が選び、後に整備されたと言われる百首の和歌で、かるた競技なんかも行われる例のあれ…を、小学校低学年で既に全部覚えていた。今はかなり忘れているが、上の句を聞いて下の句を言うことはまだできる。おかげで中学の時に毎週あった百人一首のテストはほぼパーフェクト(実は菅家=菅原道真の歌「このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに」の「」を「綿」にしていたのだが、バレなかったようである)だったし、高校の時など、図書部長として自ら企画した百人一首大会に自分で優勝して賞品をゲットしたぐらいだ(なんだかやっちゃいけないことだったかも知れない)。

 で、繰り返すが、自慢したいわけではない。大体、あんまり意味のないものをやたらと覚える小学生なんて、よくいるではないか。ただ暗記するのは、若い脳細胞には大して困難なことではないのだろう、たぶん。

 ここで語るのは、私がなぜそこまで百人一首に入れこんだのか、ということだ。母が高校の古文の講師だったとか、正月に6歳上のいとこや8歳上の兄とかるたで勝負したとか、そーいう文化資本はあったのだが、それだけなら別に麻雀を覚えたって不思議はなかったのだ。あえて百人一首にこだわったのには、ちゃんと理由がある。

 まず、私が一番最初に覚えた歌を紹介しよう。

 むらさめのつゆもまだひぬまきのはにきりたちのぼるあきのゆふぐれ

 寂蓮法師のこの歌は、秋の夕刻、霧にけむってそこはかとなくさびしげな、まさに「あはれ」の情景を描写したものであるといえよう。

 もうひとつ。

 おもひわびさてもいのちはあるものをうきにたへぬはなみだなりけり

 恋こがれて死んでしまいそうなのに、なぜか生きながらえている命。それでも涙だけは堪えがたく流れてしまう…そんなせつない気持ちをうたいあげた、道因法師の歌。

 すぐお気付きになったかとおもうが、どちらも「法師」つまりお坊さんの手によるものだ。なぜこの2人の法師の歌を、幼い(たぶん幼稚園か小学校1、2年)私が真っ先に覚えたのか。

 歌のわびさびとか出家者の心境とか、そーいう問題だったら、ここでネタにしてはいない。内容はこの際どうでもいいことなのだ。

 「坊主めくり」という遊びをご存じだろうか。

 百人一首には「読み札」と「取り札」がある。「読み札」は歌の上の句と下の句が書かれ、さらに読み手の肖像が描かれていたりする。もちろんそれが本人の顔と似ているかどうかなんてわからないのだが。これを読み上げ、下の句だけが書かれた「取り札」を取り合う…これが百人一首かるたの競技の基本ルールである。

 坊主めくりは、この「読み札」のみを使用する。裏置きされた読み札の山から、順番に1枚ずつひいていく。そして「坊主」が読み手である札を引いてしまったら、手持ちの札を全部捨てねばならない。捨てられた札は、次に「姫」つまり女性(本当は、姫じゃなく女官である場合が多いのだが、絵だけしか見てないからどうでもいい話だ)を引いた人がもらう。そして最後に手持ちの札が一番多かった人が勝ち、という遊びだ(注1)。

 普通、この遊びでは「坊主」は敬遠され、「姫」が歓迎されるものだ。だが、私がヘンだったのは、「坊主」の札を妙に気に入ってしまったということなのだ。それゆえに我が家のローカルルールでは「坊主」が出た方が勝ちなのである。

 だが、それだけならば「坊主」は他にもいる。僧の詠み手は13名、ちなみに女性は21名。ともあれ別に寂蓮と道因にこだわる必要などない。

 では何をそんなに気に入っていたのか。少なくとも「坊主」本人ではなかった。ポイントはただひとつ、「坊主」の絵である。さまざまな姿が描かれているし、メーカーによっては全然ちがう姿になっているのだが、要は第一印象だ。

 百聞は一見に如かず。まず図1を見ていただきたい。

図1

 後ろを向き、左耳だけが見えている法師の姿だ。なんということはない。

 だが、私には図2のように見えたのだ。

図2

 つまり、耳が目と口に見えてしまった。こんな人物の正面図は、さしずめ図3のようなところだろうか。耳がないのが難点だが、一部で溺愛されているという猫や兎の耳の少女の耳(変な言い方だな)だってどこについているのかわかったもんじゃないから、細かいことは気にするまい。

 ともかく、妙である。とてもヘンな顔である。勝手に幼い私が妄想しただけとはいえ、こんな顔でしみじみと歌を詠まれても困る。

 そして、このような姿で(たまたま)描かれていたのが、寂蓮法師と道因法師だったのだ。

 そう、ただそれだけだった。

図3

 ヘンな顔に見えて面白かったから、なんとなく歌まで覚えてしまったのである。しかも本当に変な顔に描かれていたわけではなかったわけで、両師には気の毒としか言いようがないのだが、きっかけなんてそんなものだ。あとはまあ、勢いで覚えてしまった。8歳も上の兄に勝つための意地みたいなものもあったけど。

 だから、他のメーカーの読み札を見て、普通の僧形な二人に心底拍子抜けしたものだ。

 私の場合、古文や日本史が得意だったし古典をよく読んではいたが、実はそれってこーいう結構くだらないきっかけから生まれた癖だったりするのだ。あと、学校で毎朝ある礼拝がつまらなくて、暇つぶしに賛美歌の品詞分解(注2)なんかもやったっけ。

 バイト先で受験を目指す高校生が「古文がよめない」と相談してくるのを見るにつけ、自分は恵まれていたのかな、と思う。単にヘンだったという説もあるけれど、どんなくだらないものであっても、動機があるって結構得なことなのかも知れない。

注1

 我が家の百人一首を利用した遊びは、かるたと坊主めくりだけではなかった。兄が発案した「戦争」(同時に読み札を出し、官位の高い詠み手の札を出した方が勝ち)とか、「神経衰弱」(読み札と取り札を裏返しに並べ、同じ歌の読み札と取り札をめくって当てる。さすがに200枚の札をめくるこれは難易度が高かったので、のちには読み札のみで官位が合えばおっけーという簡易バージョンになった)なんてのもある。こんな愉快な発想のできた彼の方が順当に公務員となって地道なパパになり、振り回される常識人だったはずの私が未来の知れぬプー研究者になっているとは、世の中わからぬものだ。

注2

 賛美歌の歌詞といえど、ちゃんと係り結びの法則も適用されているのだ。「あしたも夜半の心地こそせめ」とか。係助詞「こそ」の後、文末の助動詞「む」が已然系になってるでしょ? これをアルトで歌いつつ瞬時に品詞分解していくのは、結構訓練になったなあ。

 

 

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