辛かったはずのカレー中学の時、友人宅に泊まりに行った。その一家はかつてインドネシアに住んでいたことがあり、夕食としてインドネシア風の煮込み料理をご馳走してもらったのを、今でも覚えている。 かなり後になってその友人としゃべっていた時、辛いものが食べられるかどうかという話になった。 という話を聞いて戸惑ったのは私である。 実は私は、その料理について「辛い」という記憶がまったくないのだ。 当時は今ほどエスニック料理なんて食べる機会がなかった。自分で外食する身分でもないし、そもそも店もまだ少なかったし、家庭用の食材だってあんまりなかったと思う。近所に輸入食材の店が結構あり、そういう店で調達した食材でかなり手の込んだ料理を作ってくれるのが好きで、かつバンコクに住んでいた親戚にタイ料理をふるまわれた経験もない。ココナツの味はむしろクッキーなんかの菓子で知っていたけど、ココナツミルクなるものは知識としてしか知らなかった。だからよけいに、白い液状のココナツ風味のものに「ココナツミルク」を発見して驚いたのかも知れない。 だけど、辛いという味覚は痛みに通じるという。実際、辛いものが平気な人にはわからないかも知れないのだが、辛みの前にあらゆる味は屈服する…つまり、辛いと他の味がなんだかわかんなくなるのだ。 そりゃもちろん、ご馳走していただいてるのだから美味しいといわねばならない、というのはあったんだと思う。そして料理の味が、おいしいとかまずいとか以前に自分のまったく知らない香辛料や食材を用いた初めてのものだったのも確かなんだろう。で、口腔に容赦なく襲いかかる辛さの刺激よりも、この初めての味をおいしいと言うための根拠みたいなものを懸命に探す方が優先され、そっちの発見に夢中になっていて、その結果、刺激としてあったはずの辛さをすっかり忘れてしまったのだろう…たぶん。 しっかし、辛さってそんなもんで忘れてしまえるものなのか? そもそもあの料理が本当に辛かったのか? 今でも思い出せないのも気になる。友人に今さら尋ねるのも、なんかはずかしいし、彼女にとっては「辛いのが平気な私」が印象に残っていたんだから、たぶん記憶は永遠にすれ違う。 でも気になるなあ。
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