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辛かったはずのカレー


 中学の時、友人宅に泊まりに行った。その一家はかつてインドネシアに住んでいたことがあり、夕食としてインドネシア風の煮込み料理をご馳走してもらったのを、今でも覚えている。

 かなり後になってその友人としゃべっていた時、辛いものが食べられるかどうかという話になった。
 私は数年前まで辛いものが苦手だった。大学2年ぐらいまでわさび入りの寿司すらだめだったし、市販のカレールウを「中辛」に変えるにも勇気を振り絞ったものだ。そばに七味唐辛子をかけるようになったのも、餃子にラー油をつけるようになったのもここ2,3年のことだ。今ではかなり鍛えられて、辛いもののおいしさもわかるようになってきたものだが。
 ところが友人は、私が中学時代から辛いものにかなり強いのだと思っていたらしい。根拠は例のインドネシア料理。カレーだったらしいのだが、かなり辛いものなのにおいしいと言って食べていた私に、彼女はどうも感心すらしていたようだ。

 という話を聞いて戸惑ったのは私である。

 実は私は、その料理について「辛い」という記憶がまったくないのだ。
 白い煮込み料理だったのは覚えている。ココナツの味がして、ああ、ココナツミルクを料理に使うんだ、と発見した気分になったことも。そして、ああ、これがインドネシアの味かあ、とか思った。でも、それだけなのだ。

 当時は今ほどエスニック料理なんて食べる機会がなかった。自分で外食する身分でもないし、そもそも店もまだ少なかったし、家庭用の食材だってあんまりなかったと思う。近所に輸入食材の店が結構あり、そういう店で調達した食材でかなり手の込んだ料理を作ってくれるのが好きで、かつバンコクに住んでいた親戚にタイ料理をふるまわれた経験もない。ココナツの味はむしろクッキーなんかの菓子で知っていたけど、ココナツミルクなるものは知識としてしか知らなかった。だからよけいに、白い液状のココナツ風味のものに「ココナツミルク」を発見して驚いたのかも知れない。

 だけど、辛いという味覚は痛みに通じるという。実際、辛いものが平気な人にはわからないかも知れないのだが、辛みの前にあらゆる味は屈服する…つまり、辛いと他の味がなんだかわかんなくなるのだ。
 わさびの入った寿司を食べられるようになったのは、わさびの味を感じつつネタの味がわかるようになったからだ。いや、逆か。ある時期までわさびの味しか感じられなかった寿司から、本来のネタの味が感じとれるようになったから、わさび入りの寿司が平気になった。わさび自体の味の識別ができるようになったのはさらに後のことだ。
 そんな私が、友人(私よりは辛いものに強いはずだ)が辛いと評する料理から、ココナツの味を感じ取ったのは、よく考えてみたらすごいことなのではないか。

 そりゃもちろん、ご馳走していただいてるのだから美味しいといわねばならない、というのはあったんだと思う。そして料理の味が、おいしいとかまずいとか以前に自分のまったく知らない香辛料や食材を用いた初めてのものだったのも確かなんだろう。で、口腔に容赦なく襲いかかる辛さの刺激よりも、この初めての味をおいしいと言うための根拠みたいなものを懸命に探す方が優先され、そっちの発見に夢中になっていて、その結果、刺激としてあったはずの辛さをすっかり忘れてしまったのだろう…たぶん。

 しっかし、辛さってそんなもんで忘れてしまえるものなのか?

 そもそもあの料理が本当に辛かったのか?

 今でも思い出せないのも気になる。友人に今さら尋ねるのも、なんかはずかしいし、彼女にとっては「辛いのが平気な私」が印象に残っていたんだから、たぶん記憶は永遠にすれ違う。
 けど…まあ、記憶ってのはそんなもんなのだろう。

 でも気になるなあ。

 

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