沢月亭日記
バックナンバー

[先月] [目次] [来月]

2004年5月3日(月) まあ、なんとかやってきた。
先週から風邪に倒れていた。のどの痛みと熱で起き上がれず、寝込んでいた。
が。
1日から2泊3日でいつもの泊まり込み(で高校生に勉強させる)仕事があった。
とはいえ、ゴールデンウィークを勉強漬けで費やしたいと思う物好きはさすがにあまり多くないので、
人数は少なめ。ただしそれゆえに、スタッフも少なめ。同時期にあちこちで同じ企画が開催されるので、
欠員の補充はできない。だからどうしても休めないので、風邪薬でごまかしつつ行ってきた。
この2か月準備してきたことがほとんど無に帰してしまって(用意した文を読めるレベルじゃなかった)
寂しさを感じつつ、それでも目の前のお客さまに対してできることを模索して。授業で伝わらなかった
ことを一人一人に話して回って。
結果、それなりに満足してもらえた模様。
風邪は相変わらず喉のあたりに居座っているが、とりあえず一段落ということで。

今日の晩ごはん。
麻婆茄子、キャベツと鶏肉のからしあえ、ピーマンのお浸し、豆腐とわかめのみそ汁、大根のサラダ。
2004年5月11日(火) 血のような。
ほら、シャワーを浴びてたら、水が血に……とかいう怪談、あるじゃないですか。

深夜に髪を洗っていると、なんだか妙な匂いがする。
鉄の匂い。
変だとは思いつつも、そのまま洗髪を続ける。というか、髪が泡まみれの状態で、他にどうしようもない。
匂いはだんだんひどくなってくる。
ふと思い付いて、湯をためてみると……うっすらと赤い。
その瞬間、ひとつの事実に気が付いて愕然とする。
この時間帯、水道管の交換工事があって水がにごるって水道局が通知してくれてたじゃん……。
自業自得。
鉄の匂いの髪に、へこむ真夜中。

今日の晩ごはん。
久しぶりに連れが帰宅。土曜日以来だったか。仕事が大変なことになっている模様。
やっと二人で食べたのは、
じゃがいもとひき肉のレンジ蒸し、豆腐とわかめのみそ汁、小松菜とベーコンのさくっとゆでたやつ、大根の浅漬け、サニーレタスと海藻のサラダ。
2004年5月12日(水) 集中できること

どんなに不愉快なことがあっても、元気が出なくても、始めるとひたすら集中して、他のことを考えなくなる。そんな時間を定期的に持てるようになった。
集中できるというより、他のことなど考えてはいられないほどにいっぱいいっぱい、という状況だし、順調でもなんでもない、むしろ壁にぶちあたりまくりなのだが、それでも続けたいと思えること。
それが何かをカミングアウトするのは、もうちょっと後で。
自分で決めたひとつの条件をクリアしたら、公表したいと思っている。ものすごく情けない条件なんだけどね。

というのは、「人に言える趣味」「人に言えない趣味」をたぶん、必要以上に分け過ぎてしまうせい。
私は幼少期から、物語を作るのが好きで、小説を書くのが趣味だと言いたかったのだが、「賞を受賞するぐらいになったらはじめて趣味と言える」と親に言われてきたので、どうも、小説を書くのは私の「人に言ってよい趣味」ではないらしい。
じゃあ「人に言える趣味」ってなんなんだ、ということになるのだが、それがどうもよくわからない。
どんな関心も、きわめているわけではない。となると、趣味といえるものはなくなってしまう。
実際「本当に」何が好きか、とか言われると困るのだ。
「本当に」ってなんなんだ、と。
好きで、真剣にやってるつもりで、でも結果が伴わなくて。
それは「本当に」じゃないのか。
そこで私の判断は揺らぐ。
私はこれを「本当に」好きでやっていたのではなかったのでないか、と。

だから今夢中なこの活動を、人様に明らかにしてしまうのは、結果が伴っていない現在にはすべきことじゃない。「本当に」やっているかどうか、自分でもわからないのだから。

今日の晩ごはん(一人分)
ゆで豚サラダ(サニーレタス、わかめ、大根わんさか)、わかめと豆腐のみそ汁、小松菜の炒め物。
2004年5月15日(土) 自分の間違いを認めること
昼間食料を買い出しに出かけ、帰宅して春巻20本作る。
連れがいつ帰宅できるかわからない状態になっているので、冷凍しておいてすぐ調理できる主菜をまとめて作っておくのだ。
合挽肉も買ってきたから、明日はハンバーグとミートボールを作り置きしようっと。

仕事で会うお客さんについて。今日会った人ではないのだけれど。

模試などの結果を見たら「自分が間違ったところについて、なぜ間違ったのかを考え、解説のまねをして元の問題を解いてみて、次に間違わないようにする」という、まあ受験勉強の基本のようなことを話すと、結構共通したリアクションが得られる。
一つは「そういう方法があったんだ!」という驚き。
もう一つは「でも…」という、ためらいというか戸惑いに似た沈黙。
両者が混じることもある。
前者の驚きを与え、自分でそうしてみようと思ってもらいたいものだが、まあなかなかそうはいかないようだ。ていうか、こんなこと受験勉強のやり方を説いている所でさんざんっぱら言われてきていることなので、それで済むなら私たちの仕事はかなり減る。
減ってないってことは、伝わってないってことなんだろう。

じゃあ、なぜ伝わらないのか?
たぶん後者の「ためらい」の中に、その答えはある。

「できない」原因にはいくつか考えられると思う。たとえば、こんな感じ。
a) やり方を知らない。
b) 知ってもやりたくない。
c) やってもできない。
このうち、私たちの仕事がフォローできるのは、aとc。
凄腕の人ならbの子たちに対してやる気を持たせることもできるのだろうが、それも完全ではない。
というのは、a-bへの移行はできても、b-cにはなかなかなれないから。
bの子たちにいくらやり方を説いても、それはわかりきっていることだ。

私は長い間bだった。
それを修正するきっかけや教えてくれる人も多かったのだが、どうしても活かせずにきた。
受験に限ったことではない。仕事の進め方、論文の書き方、研究の方法、自分の経歴や研究計画の書き方。あらゆることで、人からアドバイスをいただき、それを実行しようとして、どうしてもできなかった。
(言われたことをやってなかったのだから、cの「やってもできない」ではない)

たぶんその原因は「自分が間違っていたと認めることができなかったこと」にあるのではないか、と、最近思えるようになった。

間違っていたと認めたら、なんか負けだと思っていたのだと思う。
負けを認めたくないと思い、間違っていた現実を受け入れず、なかったことにして、アドバイスも聞き流す。客観的に見たら、どう考えてもなかったことにする自分の方が阿呆だ。
むろん、そんなつもりは当時なかった。アドバイスを懸命に聞いているつもりで、どうしてアドバイス通りにできないのか自分でも不思議だった。
ただ、アドバイスを聞きつつ、私は結局自分が間違っていたという現実を受け入れずに済む範囲で済まそうとしていた。
自分がやりたくないことを回避して、その結果、アドバイスを受け入れることも回避してしまったのだ。
ここがクリティカルなところだ。
「自分が間違っていた」ということを認める。それができなければ、どんな言葉も届いてこない。
それは、すごくもったいないことだと思う。

受験に限ったことではなく、一般常識として、
「自分の間違いを認めること」
これ、どんな人にも大事なことなんじゃないかと思う。
でも、これを伝えるために、どうしたらいいんだろう。そこで自分はいつも立ち止まってしまうのだ。

今日の晩ごはん.一人分
春巻、サニーレタスときゅうりとシソのサラダ、高野豆腐とわかめのみそ汁、小松菜のお浸し。
2004年5月16日(日) サーバ不調
なんか最近サイトにつながらないことがあるのですが、どうやら借りているサーバの調子が悪いようです。
レンタルサーバ会社の障害報告(ちなみにwww14サーバを借りてます)
ご了承ください。

2004年5月17日(月) 動けない
仕事を2日続けて休んだ。
割り当てられている仕事がないし、今はそんなに忙しくないとわかっているからできることなのだが、
このところ、どうも休みがち。
休んだ分は時給計算な給料に跳ね返ってくるので、まあ、自分の痛みにはなるけれど、
勤務先の迷惑にはなっていないはず。
とはいえ、私、なんで休んでしまうんだろう。

理由のひとつは、去年ぐらいまでのように懸命に働かなくても暮らしていけるようになったこと。
ふたつめは、非常勤の仕事が増えて準備の時間が必要なこと。
みっつめは、先日ちらっと言った「まだ人に言えない趣味」にかける時間のせい。
ここまではまあ、今までもいくらでも原因になりえたのだが。

よっつめ。
先週、職場で妙なイタ電のターゲットにたまたまなってしまった。
我ながら見事な(通話記録を誰に見られても自分の正当性を主張できるような)返答をし、その記録をかなりリアルに記録に残し、イタ電も絶えて問題は解決した……はずだった。
なのに、そのダメージがじわじわときている。
もう問題は解決してるし「この前は災難でしたね、でももう大丈夫ですよ」と言ってもらえている。
もう過去のことなのだ。
なのに……。

こんなに簡単なきっかけで動けなくなってしまう自分がみじめだ。
2004年5月18日(火) 薔薇
実家で昼ごはん。
昨年から実家では父が中心になってバラを育てているのだが、今がちょうど盛りなので見に来いと命令されたので。
庭をぐるりと埋めつくす、十数種類のバラは圧巻だった。
なんか、圧倒された。生きようとする生命の奔流に巻き込まれた、という感じで。
私、つまんないことで沈んでいたかな。

何本か切ってもらって生けてみたのが下の写真。

2004年5月19日(水) 磨くのは自分にしてくれ
現代文の電話質問に出た。3時間半ぐらいかかって、かなり消耗した。
でも、そこで言い残したことがある。

君は明日が試験で試験範囲のプリントを埋めなければならなくて、プリント3枚分の問題の答えを質問してきたわけだけれど、本来このプリントは、君が埋めるべきものなんだよ。
私が言われた問いに即興に答え、どうやらプリントを全部埋めた。それを暗記したら、もしかしたら明日の試験の点数は上がるかも知れない。
でもそれ、君のためになってない。全然。

君に自分で考えてもらおうと40分ぐらい説明したら、せっぱつまってて答えがとにかく欲しいんだと言われた。
本当は、そういう要求に応えることは許されていない。
君はお客さまで私はサービス提供者ではあるけれど、答えだけを教えるということはやってはならないことだ。
けど、ここまで答えてしまった以上、その要求に応えざるを得なかった。
ほんとうは、応えない方がよかったのだ。
教科書の試験範囲の3つの評論のうち一つでも自分の頭で考えるように指導できていたら、私は君の未来につながる指導をすることができたかもしれなかったのだが(仮定法)。
それをすべきだったと、悔やんでいる。

この3時間半で経験値を積んだのは私。君じゃない。
本来、この制度は君をレベルアップさせるためのものなはずなんだが。
人が好プレーしているのを見たって、自分の技術があがるわけじゃない。それができたら、私らみんなイチローだ。
それ以前に君はたぶん、私がやったのが好プレーか凡プレーか珍プレーか区別がついてないのかも知れないが。

素直で善良な受け答えをする、非常に好感の持てる子だったけど、日本語を知らない。あまりに知らない。
教科書に出ていて、授業で聞いたはずの漢字を読めない。
まあ、知らないことは知ればいい。
けど、読みを教えて意味を説明しても「わかんない」と、すぐに思考停止する。
日本語のわからない君を日本語で救う方法を、私はまだ探し当てていない。

…国語の先生って、えらく大変なんだな……。

今日の晩ごはん。一人分。
にゅうめん鶏ももチャーシュー乗せ、小松菜と人参の炒め物、大根のサラダ。
2004年5月20日(木) 板書という戦略
非常勤。なんか板書しまくりだ。
本当は、あまり板書したくない。けど、板書せずにしゃべると後に残らないようだし、レジュメを渡して説明していくとレジュメの理解に夢中になってこっちがしゃべったことを聞いてないか、レジュメに安心して関心が他にそれそうだし。
あと、たぶん板書でもして間を持たせないとこの人達、こっちの言ったことを消化してくれないような気がして。
けど、なんか疲れる。
さっさと試験問題公開して目的意識持たせた方がいいかも。

その後ふと思い立ったので、吉祥寺で久しぶりの献血。吉祥寺の献血ルームではミスタードーナツが食べられるのだ。
さらにその後、仕事に向かう。
なんだか質問が少なくて、久しぶりに日本史に答えてみる。途中でなぜか世界史になっていたので、調べて答える。いや、勉強になったなあ。

今日の晩ごはん。
鰻丼、豆腐とわかめの味噌汁、小松菜のお浸し、大根ときゅうりのサラダ。
2004年5月22日(土) りなざう。
連れが久しぶりに昨夜帰ってきた。どうやら仕事が一段落した模様で、しばらくは家にいられるらしい。
で、朝。
連れ、AmazonにてSHARPのPDA「ザウルスSL-C860」を購入したとのこと。Linuxで動く、通称「りなざう」だ。
そのまま私は出勤。横浜に派遣されるなどして、夜に帰宅。
その直後、Amazonから連れに「りなざう」が届いた。
…速ッ! めちゃ速ッ!!
早速セットアップしているのを見守る。キーボードが慣れればなんとかなりそうなことと、EPWINGとPDIC形式の辞書を閲覧するソフトがあることを確認。

そして私も注文した。
今使っているシグマリオンを買い替えようとずっと思っていたのだが、シグマリオンIIIでは現在使っている辞書ソフトが使えない。それがネックになって、何か月もずっと迷い続けていた。
候補として「りなざう」も考えていたが、価格が(シグマリオンIIIに対して)高いので、ギリギリの生活を送る身としては躊躇していた。ちなみにこれを書いている現在、シグマリオンの最安価格は49999円、SL-C860の最安価格は60375円である(価格.comより)。Amazonでは65961円なのだが、実はギフト券で7500円の還元があるので、58461円。これまで使っていた資源がそのまま活かせるのなら、あらたに出費は必要ないはずだし、泊まり込み仕事を2か月おきにこなして貯蓄に余裕の出てきた今なら、このぐらいの出費はなんとかなる。
買っちゃったー! うわー何年ぶりに衝動買いしたんだろう。
ともかく、楽しみだ。

今日の晩ごはん。
もやしと豚バラ肉の重ね蒸し、青梗菜のあんかけ、わかめと豆腐のみそ汁、きゅうりと大根のサラダ。
せっかく作ったのに吐き気がひどくて(まあ、たぶん二日酔いの延長というか、よくあることだ)自分ではあまり食べられなかった…。
2004年5月24日(月) 届いた
りなざういらっしゃいませ♪
なのに、今めっちゃこんな気分。

orz  (←がっくりひざをついてうなだれている様子)


動けないのを理由にしちゃいけないし、身から出た錆でしかないのだけれど。
なんというか、ちょっと前にある些細なきっかけで動けなくなった。周囲に迷惑をかけないように動かずにいようとしたら、自分とあと2人ぐらいのミスが重なって、かえって迷惑をかけまくってしまった。
本当に申し訳ないのだが、一番迷惑をかけてしまった人に詫びることは、システム上不可能。
動くも地獄、動かぬも地獄。
既にしてしまった約束を守りつつ、針のむしろに座って動くのが、たぶんこれ以上傷口を広げないための手段なのだろう。

あう、職場変えたくなってきた…。
2004年5月27日(木) 空気が背中にぶつかる感じ。
非常勤。
ひょっとしたら、これは私の思い込みなのかも知れないが、講義をやっていて、受講者が
どのぐらい真剣に聞いているか、なんとなくわかるつもりだ。
ついていけなくなった受講者が増えてきたときの、どよーんとした感じとか、
一応ついてはきているな、という空気とか、
退屈してるな、という匂いとか、
わりと真剣に聞いてくれようとしているな、という雰囲気とか。
受講者の方に目を向けているわけでもない。
それでも空気が、なんというか、背中に当たってくるような感じがするのだ。

たとえばざっと見た時にどのぐらい居眠りしている人がいるかとか、
板書や些細な一言に反応するかどうか、といったことを総合して、
「空気」として感じているのだとは思うのだが、あまり意識してはいない。
ひょっとしたら、全然正確じゃないのかも知れない。
一応、真剣に聞いていたように思えたところを後で覚えていてくれることが結構あるので、
まったく的外れではないと思うのだが。

でもって、今日の非常勤では、なんだか非常に食いつきがよかった感があった。
話題が身近だったせいなのだろうが、些細なことに対しても、反応がいちいち速い。
面白いのでついついしゃべり過ぎた。また予定がずれていく……まあ、いいか。

90分講義してそのまま移動し、途中で昼食をとって職場へ。
中間試験後だからか、あまり仕事がない。「なんでもいいから仕事ありませんか」と聞いたら、
数学の採点をもらった。さすがに少し怖かったかも。

1時間だけ派遣先に出向き、残った採点を片付けるためにまた職場に戻る。
採点を続けている間に、電話を何件か。

どうも、私が被害に遭ったイタ電騒動が継続中らしく、無差別に複数の被害者が出ている模様。
…第一号だったわけか。
それはそれで、あまりなりたくないものだったけど、まあ、へこんだり仕事に支障をきたしたり
するほど真剣にとらえなくてもいい程度のものだったことがわかって、ちょっとほっとする。
対応策も整ってきたし。

今日の晩ごはん。
餃子、キャベツと人参のスープ、青梗菜のクリーム煮、ロメインレタスとセロリのサラダ、焼き茄子。
2004年5月28日(金) メモ
NHKにんげんドキュメント「弓ひとすじ」再放送予定
総合テレビ:6月3日(木)午前1:00〜1:45
日本人の弓師と英国人の弓道家の交流を描いた番組で、今日一部だけ見たけれど、面白かったので
再放送は見逃さないようにしたいところ。

今日の晩ごはん。
煮込みハンバーグレタス添え、もやしの梅肉あえ、ブロッコリーのイタリア風。
2004年5月29日(土) 日本語が読めるからって日本語の文章が読めるわけじゃないんだ
今日は三重県の県庁所在地まで出張。国語の先生として。
現代文(特に評論)がさっぱり読めない、模試受けたけどなんだか全然できなかった。模試の解説頼む、
というお客さま。
こういう子はよくいる。大抵、
・難しい用語につまずく
・わかりやすい具体例にとびついてしまう
・強い表現に引きずられる
・予備校とか参考書でききかじった注目語「しかし」「むしろ」といった接続語の後に、懸命に線を引いてしまうが、なぜどこに線を引いているのかよくわかっていない
・設問の「どういうことか」とか「わかりやすく説明せよ」自体がなんのことかわからない
こんなあたりで引っかかっているらしい。

加えて、自分が間違っていたことをあまり直視したくないのか、「あってる/まちがってる」だけ判定して、なぜ自分が間違った選択をしたのかまで踏み込まない。
というのもあるかな。

自分には当然のように読めてしまうものを、読めない人に説明するのは、ひどく難しい。
「だってそう書いてあるじゃん」というのは禁句だ。それが読めていないのだから。
どうして私に見えるものが、この子に見えていないのか。
見せるだけではなく、素で見えるようになってもらうためには、どうしたらいいのか。
ここに一般的な解があるのか、私は知らない。目の前のお客さまに立ち向かうだけだ。

「評論では著者の言いたいことを理解せよ」ということは聞いていたけれど、じゃあなにをどうしていいのかわからなかったという。
それは、人の書いた文章を読んで、その意図を読み取る、という技術を今まで獲得していなかったということだ。
文章にどう向き合えばいいのかを教えられていなかった、ということだと解釈した。

ここで私にできるのは、
・読めなかったのは頭とか能力とかの問題ではなく、方法を知らなかったせいかも
・日本語で書かれた文章を読む方法は、日本語を読めるからといって自動的に備わるものではない
・だから、今間違うことは十分にありうること。ただし、できれば次に間違わないようになってもらいたい
・そのためには、解答を選んだ判断の過程を分析し、模試の解説と比較してみよう。解説を鵜呑みにするのではなくて、解説のような考え方を自分が真似できるかどうか、実際に試してみるのだ
・解説で言ってることが理解不能だったら、いくらでも質問してくれ
こんなメッセージとノウハウを伝えることぐらいだ。

一応、満足した表情を見ることができた。少しでも、なんかわからない言葉が入っている難しそうな文章に向かい合うようになってくれるとよいのだが…。

Akiary v.0.50
inserted by FC2 system