沢月亭日記 |
2003年6月2日(月) 尻切れとんぼ |
昔の職場で、テレビ会議システム利用の面談をやっていた。 20分ぐらいしてから、突然、音声が聞こえなくなり、画面が凍る。 ほぼ同時に隣のブースから「止まりました」という声が上がる。違う場所に繋いでいた2台の通信が突然切断されてしまったらしい。 社員の人がいろいろ電話をかけまくって調べたところ、どうも旧職場と他の教室がつながらなくなっているらしい。新職場の方はつながるようなので、途中の面談を他の教室の講師に代わってもらい、新職場に移動する。 途中までになってしまった解説が非常に中途半端で気持ち悪い。 今日の晩ごはん。 鶏肉のオイスターソース炒め、豆腐とねぎと油揚げのみそ汁、きゅうりとわかめとサラダ菜のサラダ、もやしとピーマンの炒め物、茎わかめと人参の炒めもの。 |
2003年6月4日(水) 文学がわからない1 |
国語の勉強法の指導をたて続けに受ける。ろくに勉強した覚えがないから、今思えばやっておけばよかったことを踏まえていろんな参考書を見ながら答える。でも、いつも困るのが「小説の読み方」。それと「小論文の勉強に天声人語を要約して感想を書きなさいと言われました」に対するリアクション。 「文学的価値がある」小説は、単にストーリーの面白さにとどまらず、深みのある何かを持つ (それが何かはよくわからない。私はゲームに対して単にストーリーの面白さ(あと、操作性の快楽)にとどまらず、なにか「深み」を感じたものを言葉にしているが、それを「ゲーム的」「ゲーム学的」に価値がある、とは言えない。そんな言葉はまだないのだ。また、自分が書いているオンライン小説は、ストーリーが面白いかはわからないが、それなりに深みを持たせているつもりで、それを受け取って下さった方には響くようだ。でもあのファンタジー小説たちはきっと「文学」とは認められない)。 ストーリーを追う読み方と、「深み」を読む読み方は違う。 その違いが何かわからなかったら、たぶん読みの誤りは容易に生じると思う。 続きはまたいずれ。 今日の晩ごはん。 チキンマカロニグラタン、豆腐とわかめのスープ、サラダ菜ときゅうりとわかめのサラダ、ピーマンとキャベツの炒め物。 |
2003年6月5日(木) 戸棚の奥はネズミの卵でいっぱいだー! |
「動物のお医者さん」で二階堂役が要潤だと知った瞬間、表題の(原作にある)セリフを叫ぶシーンが見たいと思ったものだが、ついに願いかなったり。満足。 今日もまた2時間連続授業。この授業、配布プリントだけが決まっていて、どう進めるかは講師次第。他の講師がどうやっているのかもわからない(いいんだろうか…)。生徒を当てて答えさせる人もいるらしいし、自作の補助プリントを配布する人もいるらしい。私は当てず、大量に板書する。どういう進め方がベストなのかはわからないが、とりあえずわからないなりに手だけでも動かし、あとから見直して考えてみてもらいたいので(あと、当てるの下手なので)。 生徒は板書を懸命に写す。大変だろうけど、私も同じものを、しかも2度書くんだから許せ。 今日の晩ごはん。 青椒肉絲、水菜と薄揚げの辛子酢醤油あえ(ボブとアンジーのレシピ)、キュウリと人参とサラダ菜のサラダ、キャベツのマヨネーズサラダ、豆腐とわかめのみそ汁。 |
2003年6月6日(金) ヤツとは一度戦わねばならぬ気が |
毎週毎週小論文の通信添削で消耗しているんだが、これには一つ理由がある。 毎回の課題が、なんか違っているのだ。 課題文を読ませてその主旨を踏まえてなにかを書かせる。これはまあいいんだが、課題文がなんだか破綻しているのはいかがなものか。 せめて、指導を目的とするなら、高校生が主旨をとらえやすい論理的な文章にすべきでは。 とか思っていて、ふと気づいた。 論理の通った文章の結論部分でいきなり論理がめちゃくちゃな文が出て来るんだが、これは、”入力していてうっかり範囲指定して削除してしまった”のではないか。あるいはどこか誤変換しているんじゃないのか。そんなミスが沢山あるのだ。 「(Xを)AとするのはAという語の誤用だ。しかもただの誤用ではない。BCとすべきである」は、ほんとうは「(Xを)AとするのはAという語の誤用だ。しかもただの誤用ではない。Bという本質的な誤用である。Xは本来、Cとすべきである」と書かれているんじゃないか。 そう思って、原典を買ってみた。予想通りだった。 これじゃ主旨なんかつかめない。主旨をふまえて書けるわけがない。 主旨をつかむことにわたわたしている受験生が、そんな判断をできるのか論じる余裕はないだろう。 こんなものを読ませていたのかと思うと受講生に申し訳ない。 けど、この教材を作ってる人は、なんかかなり発言力のある人らしい。たてついたらまずいようだ。 困った。 けどなんか言わずにはいられない。その影響が自分に返ってくるから。 どうしたらいいのかな。 今日の晩ごはん。 豚肉のしょうが焼きサラダ菜添え、冷奴、水菜の炒め物、きゅうりとトマトとサラダ菜のサラダ、キャベツとジャガイモのみそ汁。 |
2003年6月9日(月) とりあえずアクション |
6日に書いた小論文の課題文については、出典と異なる箇所にマーカーを引いて対照できる形にして担当社員に提出。たかだか2200字程度の文章の中に、誤読を招きかねない欠落や誤変換、入力ミスが4か所。表記上どうかと思う点(ダッシュ記号(――)を音引き(ー)で代用するとか、まあ主旨は伝わるだろうってな誤変換)はさらに数カ所。これだけ受講生を混乱させる要因が多いと、小論文の指導という目的のもとに作られたテキストが本来の目的を果たせない。せめて原稿に出典のコピーを添えてもらうように頼めないだろうか、と訴えてみる。なんとか改善されるといいな。 今日の晩ごはん。 鶏肉のホイル包み焼き、豆腐とわかめのみそ汁、きゅうりと人参のスティックサラダ、大根のきんぴら、青梗菜の炒め物。 |
2003年6月10日(火) 発見 |
排水口に引っかかっていたポップコーン(はじけさせる前のトウモロコシの粒)が、発芽していた。 洗剤だのなんだのが流れる中でよく発芽した、というか、ポップコーンって芽が出るんだ! 結構新鮮な驚きだった。 来年はポップコーンをプランターで作ってみようか、などと半分冗談で検索したら、小学校や小学校教育のサイトばかりに行き当たる。どうも、小学校低学年でポップコーンを育てて作ってみるのはわりとポピュラーらしい。これもまた発見。 種が手に入りにくいと嘆いている先生の記録もあったが、一袋99円で売ってる「ポップコーンの素」でもなんとかなるっぽいですよ。 今日の晩ごはん。 ピーマンの肉づめ、青梗菜のソテー、豆腐とわかめのみそ汁、なすの焼き浸し、ししとうとじゃこの炒り煮、ししとうの串焼き、きゅうりとサニーレタスのサラダ。 なすがやっと入手しやすい値段に下がってきた。久しぶりに買って、去年よく作った焼き浸しにしてみたのだが、作り方をかなり忘れていた。 ここにレシピを記録しておいて、来年また思い出す時に使おうと思う。 ・なすを縦半分に切って斜めに切り込みを入れ、適当に切って油をまぶす ・アルミホイルに乗せてオーブントースターで15分焼く ・やや薄味なめんつゆを用意する。だし+みりん+しょうゆを適当に合わせても。 ・焼き上がったなすをすぐつゆに漬け込む。冷やしておくとなおよし。 |
2003年6月11日(水) 枇杷 |
昨日のことなんだけど、連れの実家から枇杷が送られてきた。 長崎の枇杷だ。本場ものである。食べてみれば確かに美味しい。 が、普段自分で買わないせいか、もらいものの果物ってのは、なんか苦手なのだ。日に日に傷んでいく果物と、送っていただいた好意を無にしないために消費するノルマ。結局力つきて泣く泣く捨てる、かびたり傷んだりした果物。 基本的に貧乏性な癖に、もらいものの消費に関しては思いきり無頓着な自分は、なんかどこかで歪んでいるようにも思える。 なんか、すごくもったいない。少なくとも、無駄にしちゃいけない。あるものは使わねば。 もっと食べやすい果物だったら、職場で配るという方法もある。けど、枇杷は…うーむ。 というわけで、毎食後に枇杷各人1個ずつがノルマとなった。 が、弁当と一緒に持参するのを忘れた。いきなり駄目である。 なんとか傷まないうちに食べきりたいものだ。 今日の晩ごはん。 アスパラと人参の豚肉巻き焼き、豆腐とわかめのみそ汁、キャベツの千切り、サニーレタスときゅうりのサラダ、なすとピーマンのなべしぎ。(あと、プレーンヨーグルトと枇杷。食後のデザートは今まで記録してこなかったんだけど、ヨーグルトは食後に摂るようにしている) |
2003年6月12日(木) うわ、恥ずかしい |
昨日裏口サイト関連で2、3度しかメールのやり取りをしていない方に本名&所属つきシグネチャでメールを送ってしまった。 隠しているわけではないけれど、恥ずかしいことをしてしまった…。 今日は授業を振られる前にテレビ会議面談を先にもらってしまったので、派遣されずにパソコン前に座る。 他にも同じようにヘッドセットつけて面談している人が何人かいたのだが、ふと気づく。 みなさん、声大きい…。 もちろん自分も含めてなのだが、面談相手の声と画面に集中していると、声が大きくなってしまうようだ。そして気づいてしまうと、他の人の声が気になってくる。 ていうか、仕切られたブースのそこここから、普段より大きな、けど一方の声だけがひたすら聞こえて来る部屋は、なんか奇妙である。 今日の晩ごはん。 麻婆豆腐、わかめと豆腐のみそ汁、サニーレタスとキュウリのサラダ、粉ふきいも、アスパラガスのお浸し。(&ヨーグルトと枇杷) |
2003年6月17日(火) とりあえずハガキは出しておこう |
実際に行くかは未定だな…。 今日の晩ごはん。 肉じゃが、青梗菜とベーコンのスープ、冷奴、オクラのかつお節あえ、自家製レタスと自家製じゃないレタスのサラダ自家製バジルドレッシングかけ。 |
2003年6月19日(木) あ…えっ? |
何年か前に使った模試の問題をチェックして修正する仕事をもらう。 今まで自分で修正するまではできなかったので、ちょっと燃える。行間が揃ってないとか、フォントが違ってるとか、選択肢になってるけど正解じゃない語が、高校生が知らなくて当然な奴だとか、表記が統一取れてないとか、解説で書かれている訳と全文訳がまるきり違うとか。これまで気になってたけど修正する人の苦労を考えると指摘しきれなかったところもガンガン直せるのだ。 そして修正分を出力。どうよコレ! …と思ったら、発音記号が文字化けして(外字だったから)ギリシャ文字になっていた。 がっかり。 一週間おいて、今日はまた2時間連続授業。 2回目が終わったら、なんだか質問がわらわら来た。 同じ箇所に突っ込まれるということは、そこがわかりにくかったということだ。 名詞を分詞で修飾する場合と不定詞で修飾する場合の違いについて説明したんだが、そもそも名詞を修飾する際のパターンに慣れてない子が多かったらしい。今回初めて説明してみたが、伝えるためにはもう少し工夫が必要なようだ。 しかし「目的語ってなんですか?」てな質問が、分詞の授業で来るとは思わなかった。 自分の知識が増えると、当然相手も知っているものとして使う言葉も増えてくる。けど、初めて出会う相手がその言葉を知っているかはわからない。英文法の用語は、英語を教える人にとっては繰り返し発し続けてきた言葉だし、自分は当然のように使いこなせる言葉ではあるけれど、教えられる側にとっては不可解な未知の言葉なわけだ。その差を埋めるためにはどうしたらいいのか。いや、そもそも埋めようとすべきなのか(これはまた後で語りたければ語るかも)。 今日の晩ごはん。 豚肉と青梗菜の梅だれ、切干し大根の含め煮、レタスとキュウリとワカメのサラダ、ピーマンと人参のオイスターソース炒め、キャベツと麩のみそ汁。 |
2003年6月20日(金) 暑い… |
家の中は、幸いなことに風通しをよくしておくとかなり涼しいんだが、それでも暑くて、起きられなくなる。なんとか朝食を作ったものの、立っていられなくてまた横になってしまう。 普段はいたって正常な血圧が、夏だけ下がって、ただでさえ悪い寝起きがさらに悪くなるんだが、たぶんそれだろう(メンタルな原因という可能性はあるけれど、それは認めないことにする。認めたらもっと動けなくなるから)。 非常勤は、今回を含めてあと3回。「ここがわかんない」という言葉を正面から受け止め、少しでも納得がいくように説明していく。結構必死にやってきたけど、どこがわかんないかわかんない状態で学生を放り出したり、自分の関心領域に引きずり込んでしまったりはせずにいられそうだ。 自分が学部生の時にはほとんどやっていなかった社会学を学部生に教える、ということで、心掛けていることが一つある。「正攻法を知らない相手に裏技を教えないようにしよう」ということ。ある説がどう評価されているか知らないままに、その説がどう誤解されているかの文献を読まされたら理解に苦しむ。それまでの理論を覆す新しい理論を、それまでの理論を知らない人に教えても、その意義は伝わらない。 相手が何を知っていて、何を知らないか。それを見極めつつ方向を決めていきたい。 受験産業的な考え方だと思われるかも知れない。けど、相手に伝わらない「意義ある」ことをいくらしゃべっても、相手にとってはただの雑音でしかない。こちらが何を発しても、あちらに伝わらなかったら、それは無意味だ。 むろん、向こうがしゃべってる「なんだかよくわからない流暢なことば」を夢中で書き取り、それが十年以上経ってからおもむろに意味を持ってくることってのはある。あえて難解な授業にして、ついて来る学生を拾い上げるというのもありだろう。 けど、働きつつ大学に通っている人を相手にする私は、そういう戦略を取るべきじゃないんだと思う。 今日の晩ごはん。 豆腐と豚ひき肉のミートローフ和風あんかけ、レタスとキュウリとワカメのサラダ、青梗菜(軸)のピリ辛煮、青梗菜(葉)のかつお節あえ、大根と人参のみそ汁。 |
2003年6月21日(土) 過去の自分に向けて |
昼間は暑さにめげつつ、夜は巨人-阪神戦を見つつ、持ち帰りの小論文添削。 今回は小論文そのものを書くのではなく、構想メモをつくる練習のようだ。 (メモのつくり方などいちいち指図されたくない気もするが、まあ、そこは私が口を出せる範囲ではない。たしかに自分なりの構想づくりのフォーマットを持ってる子はほとんど見当たらないのだから、なんらかのフォーマットを示してもいいだろう(ただし、あまりに伝わりにくい文で示されたフォーマットではあるが)。 添削はテキスト作成者の意図をできるだけ酌んでるつもりだが、基本的に 「実際には出題意図を浅く捉えていて、一面的な論旨になる答案が多いので、現代は確かにこの問題が大きく取りざたされる時代であるが、それが何によってもたらされたかを、教材のA部とB部との因果関係を正確に理解しておくことが必要で、その上で志望する学部で必要とされる視点を確定しよう(読点で区切られた箇所の大意と接続関係は変えずに伏せてみた)」 なんて文を書いて、少なくとも3年間使い続けていられる人の日本語を、私は信用したくない。 そんなわけで、いつもは全部引き受けるんだが、今回は叔父の法事を口実に、件数を絞らせてもらった。 だから、あんまり大変ではない。いや、消耗はするけど。 でもそこで見えてくるのは、これまで考えたこともなかった題材をつきつけられた時の、苦しまぎれな反応のパターン。 その領域にかかっていそうな時事ネタや経験を持ってきて、そっちを語ることに論点をすりかえるとか。 その領域にとりあえず言及しておいて「それどころではない」と目をそらそうとするとか。 その領域について書かれた課題文をなぞって課題文への忠誠を示そうとするとか。 なんとか知ったかぶりして何かを言おうとしている必死さが見てとれる。 なんでそんなに必死になるんだろう。知らないことなんて、誰にでもいくらでもある。知らないで済まされないような局面だったら、知ればいいことだ。 なのに「知ろうとする」ことを放っておいて、なんとか「知っている」ふりをする。それがあっさりと見透かされるってことを想像できないのか、想像できていても他に書きようがなかったのか。 高校生だった頃の自分を振り返ると、学ぶ立場にありながら無意味にプライドの高かった自分が浮かぶ。 知らないということが恥だと思う一方で、自分がものを知らないということを認めたくない。 だから、懸命に自分でもなんかわかっているふりをする。読み手をごまかそうとするんじゃなく、自分自身をもごまかそうとする。気づかれなければ、それで大丈夫な気分になる。求められた知識を持っていないという事実は変わらないのに。 気づくべきは当時だったのだ。でも当時の自分に今の自分が思ってることを言うことはできない。 だから、今の高校生に言う。私の添削は、かなりの割合で、過去の自分へのメッセージになっているわけだ。それをどう伝えるか、が、自分の課題なんだと思ってる。 今日の晩ごはん。 キャベツとコンビーフの重ね焼き、わかめと鶏皮のスープ、きゅうりとレタスと自家製トマトのサラダ、レタスとキャベツのあえもの。 |
2003年6月22日(日) 法事 |
叔父の三回忌(&大叔父の十七回忌)。 叔父が亡くなった時の話はずっとここでは封印していたけど、ちょっと振り返ろうと思う。 階段から落ちて頭を強打し、20日ほど脳死状態だった。心臓が停止したのは、事故の日に(仕事でアメリカに駐在することになったために)渡米した長男(一人息子)が帰国し、面会に訪れた日の晩。 自宅でおこなわれた葬式の日は、誕生日だった。梅雨だというのに珍しく晴れ渡っていた。 「いつも綿密に計画立てて実行していたけれど、最期まで用意周到だったね』という誰かの言葉に、みんながうなずいた。 三回忌の今日も、東京は晴れていた。 これが意味することを、ずっと考えている。 続く。 今日の晩ごはん。 切干し大根と人参のみそ汁、キャベツと鶏皮のしそみそ炒め、シシトウとじゃこの炒り煮、キュウリとレタスと大根のサラダ。 法事に行かなかった連れには、法事のあとで会食した店の料理をプラス。叔母が連れに用意してくれたのだ。 フカヒレの姿煮、シュウマイ。 |
2003年6月23日(月) 分割 |
昨日書きかけてたことを分けてみた。 ひとは、必ずしも合理的に判断できない。関連のないできごととできごとの間に因果関係を見いだしてしまうこともよくある。その判断の集積が社会のあり方を決めていくこともある。 それは、できごととできごとの間をつなぎ、物語ろうとするからこそ、やってしまうこと。 だから、何と何をどんなふうにつなごうとするかを分析することは、社会がどんなふうに成り立つかを知る際に必要だと思う。私にとってそれは「(自分にとっての)何と何のつながりをなぜ、どうやって物語ろうとするか」という問いと同じことなのかも知れない。 叔父の死の物語を、まるで筋書きがあったかのように語ってしまいたくなる。 なんでだろう。 社会的に大きな事件や事故が起こった時、当事者ではないのに「その時自分はどうしていたか」を語ってしまう。 なんでだろう。 今だったらどうでもいいことに対して、30年以上前の経営者はすごく反応し、今思えば無茶だった想定を前提に企業の方針を決めていった。そしてかなり硬直した制度が成立してしまった。 なんでだろう? 前の世代が作った物語が、後の世代に影響を与える。それがたとえば虚無感とか絶望感だった時「そんなの所詮物語だよ」と跳ね返せない限り、絶望は続くだろう。今はそんな時代なんじゃないかと思う。 それが目の前にある時、どうしたらいいんだろう。 自分が停滞しているのは、ここでとどまっているからだ。 大きな物語が失われたとか、そんなことはしたり顔でいくらでも言える。けど、一方で今を生きてる人がいる。ていうか、そこで生きるためにどうしたらいいかを探さないのは、あまりにも無責任だ。 絶望感をはねかえすことができるのは、今を生きてるひとの「物語ろうとする力」なんじゃないかと思う。 でも、自分自身が絶望感にとわられてしまっている。たぶん突破口は、自分自身が物語ろうとすること。 圧倒する時代に抗しうる物語を語ろうとする意志。それが、どうしても持てずにいる。 研究して発表してる人達は、どうやって圧倒してくる現実に抗してるんだろう。 そのあらがいを知りたい。あらがってないなら、どうやって乗り越えたのか教えてほしい。 今日の晩ごはん。 青椒肉絲、キャベツとタマネギのサラダ、キュウリとワカメの酢の物、豆腐と油揚げのみそ汁。 |
2003年6月24日(火) にゃんこロード |
駅まで20分近く歩くのだが、入り組んだ住宅地を抜けて行くため、多様なルートを通ることができる。 でも最近は結構同じルートしか使わないようになっている。それは、猫が出没しやすいところを通っていくルートだ。 今通っているルートでは、運がいいと20分間に8匹ほどの猫を見ることもできる。仕事に行く前の至福のひととき(大袈裟)だ。 2週間ほど前だったか、このルート途中の猫多発地帯で、一匹の三毛猫を見かけた。よく見かけるやつで、全体の毛が白っぽくなっていてゆったりと歩く、どうやらかなりのおばあさん猫らしい。その三毛猫が、道路の片隅で、座るでもなく歩くでもなく、じっとたたずんでいた。何かを見ているようにも見えない。ただ静止した状態。 なんだか、もうこの猫に会えないんじゃないか、という予感がした。 昨日、同じところに差しかかったら、あの猫が座っていた。 結論。当てにならねー予感(笑)。 ていうか、予感ってのは結果的に当たったから形にできた物語、ってことだよな。と思った。 今日の晩ごはん。 八宝菜、豆腐のサラダ、大根のきんぴら、きゅうりの梅あえ、じゃがいもとわかめのみそ汁。 |
2003年6月25日(水) ヌートリア×2 |
商店街にペットショップがある。店先のコンゴウインコがトレードマークで、よく「オハヨ」「バイバーイ」などとしゃべっている。この間なんか、目が合った瞬間に「バイバーイ」と言われて思わずしょげた。 店を入ってすぐのところに大きめなケージがあり、2ヶ月ほど前までは巨大な(体長60センチぐらい)ウサギが入っていた。最近は売れたのかケージが空だったが、今日覗いてみたら、新しい住人がいた。 ヌートリア2匹。体長40センチぐらいの巨大ネズミだ。 この近辺で飼っている家があり、夏の午前中などはだらけきった姿を見せてくれていたものだが、そいつに比べるとこのヌートリア達はわさわさ動き回っていて活発。 けど不思議なのは、名前も値札もないということだ。あれはあの店ではどういう扱いなのだろう…。 今日の晩ごはん。 ハッシュドビーフ、大根ときゅうりとサニーレタスのサラダ、キャベツとピーマンの炒め物。 |
2003年6月26日(木) 毛づくろい猫×2 |
にゃんこロードを出勤中、ふと道路脇の駐車場ごしに見える屋根に目がいく。 猫が二匹、同じ方向に足を投げ出すように横向きに寝そべって、同じように腹から胸のあたりをなめている。足のかっこうから首をもたげる角度から同じで、コピー&ペーストしたみたいだった。 昨日の出勤時の大雨にはへこんだが、今日の仕事中の移動時の大雨にはさらに参った。帰宅時はなんとか地下道を通ったが、駅から自宅までは如何ともしがたく、ビニール傘のコレクションがまた一本追加された。 今日の晩ごはん。 豚肉の立田揚げ、キャベツの千切り、サニーレタスとキュウリのサラダ、大根のきんぴら、豆腐とわかめのみそ汁。 |
2003年6月27日(金) すっきり、さっぱり、せいせい。 |
DTIに解約申請書を送付。ちゃんと届けば7月20日には移転前のサイトは消えるはず。 もう無用のサーバでしかないのだが、移転して数カ月たった今でも、トップページに来る方の数人は古い方からいらしていて、その人達を困らせてしまうのがちと申し訳ない。 ブックマークなどの変更がお済みでない方は今のうちに。まあ、サイト見失ったら「沢月亭」で検索かければ大丈夫だけど。 夏の仕事の日程が決まった。稼ぐぞ。 今日の晩ごはん。 鶏肉のたれ焼きキャベツ添え、豆腐とねぎのすまし汁、自家製ミニトマトとサニーレタスとキュウリのサラダ、大根のきんぴら、粉ふきいも。 |
2003年6月29日(日) カラスの遊び場 |
ベランダの正面に松の木があるんだが、そこにカラスがよく遊びに来る。 (カラスがいない時にはスズメや、冬だとヒヨドリなんかも来る) 3〜4羽で互いに「クワッ、クワッ、クワッ」と鳴き合ったり、「クルルルッ、クルルルッ」とつぶやくように1羽だけで鳴いていたり、松の葉をついばんだりしているんだが、その様子がいかにも暇な連中がたむろって喋っているような感じで、なかなかかわいい。 この鳴き声は何か意味があるのかと思って、Crows!!というカラスのサイトで調べてみたのだが、どうも個体ごとにいろんな鳴き方をするらしく(動物などの鳴きまねもできる)、こう鳴くとこういう意味、ということははっきりとはわからないらしい(間隔が短いと緊張している、ということはあるらしいのだが)。まあ、警戒したり緊張したりしているのではなさそうだということはわかった。 今日の晩ごはん。 厚揚げのいんろう煮自家製ミニトマト添え、キャベツのサラダ、ピーマンのごまみそあえ、大根とワカメのスープ、切干し大根の煮物、青梗菜の煮浸し。 |