沢月亭日記
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2002年8月4日(日) 採点
春学期の成績をつけていて思うのは、あまり縛り付けても悪いからといって自由度を
持たせると、かえって学生の方が戸惑うことがあるということ。たぶん、すぐに出る
ような答えのある問題を出す方が、楽に思えるのだろうなあ。
もちろん、自分なりの視点を持って提示しようとしている人もいるのだが、「点数」
に還元する際にいかに差をつけるべきか(もしくはつけないべきか)ちょっと悩む。
2002年8月5日(月) ハイテンション
校正ばかりやってると、個別指導で生徒を相手にした時に妙にテンションが高くなって
しまうようだ。楽しくてしょーがないのだが、早口になると相手をけむに巻いてしまう
ので、気をつけよう…。

で、校正なんだが、相変わらず文体が気になる。どうして国語の教材が総じて妙な
日本語だったり癖のある文体だったりするんだろう。
「〜たり」を単独で使うのも、
「〜ので…ので」とか「〜ならば…ならば」と一文中に重ねるのも、
「日本における文学の発祥の経緯は記録からはわからないから推測だけど書いておく」
というだけの内容を述べるのにまるまる1ページ割くのも、
文学史のまえがきで「わが日本民族」とか言うのも、
なんか気持ち悪いし脱力する。
解説本なんだから、透明で平易な文体でいいんじゃないかと思うのだが…。
2002年8月8日(木) 餃子屋さん
夏になるとどこからともなく現われる。今までその声しか聞いたことがなかった、謎の存在。
…餃子の移動販売車。
石焼き芋のように、餃子を売っているらしく「ぎょうざ〜ぎょうざ〜」という声が聞こえる。
今日、初めて実物に遭遇した。
前方を徒歩と同じくらいの速度でゆっくり走っているワンボックスカー。「餃子」と書かれた赤いちょうちん。進行方向が同じなので、どこまで歩いても追い付けないので、スピーカーから流れる音声に耳を傾けてみる。
「カレー餃子は、ただのカレー味の餃子ではありません。じっくり炒めたローストオニオンとひき肉を合わせ、特製のカレースパイスで…」てな具合に、商品を次々に紹介している。結構品数は多そうだ。
できれば、客のいる時に目撃したかったものだ。ほんとに焼いて売ってくれるのか、気になるので。
2002年8月9日(金) コケ
洗濯物を干そうとして、しわにならないようにぴんと引っ張っていたら、連れのハンカチをものの見事に引き裂いてしまった。だめじゃん。
2002年8月11日(日) オフ
夏と冬の恒例オフ会。ありそうでなかったメンバー構成でハジけた感じだったのが楽しかった。
2002年8月12日(月) 行くも行かぬも…
職場に行ったら、冷房が壊れていた。
もともと空気のこもりやすい部屋なので、外よりも暑い。
これは大変だ…と思いつつシフトをチェックしてみたら、3時から静岡に行くことに
なっていた。5人連続でお客さまの面倒を見るらしい。
この蒸し風呂から早々と脱出できるのはよいのだが、行ったら行ったで大変そう
…などと思っていたら、すぐに出発時刻に。

5時間ハイテンションでしゃべり通すのは、さすがに疲れた。
2002年8月17日(土) そこまでならんでも
朝食をとっていたら、不意に連れが固まった。
なんか、痛みに耐えている模様。数日前から首やら背中やらが痛いと言っていたが、動かすと相当痛いらしい。一体…。
医者に行けと勧めるが、どうも乗り気ではなさそう。
そこで
「明日うちの親の前でその話したら、喜々として鍼に連れていかれるよ」
と言ってみる。
(注1 翌日実家で夕食をとることになっていた。
 注2 両親は最近鍼治療をしている
 注3 健康食品や健康法マニアな両親は、ことあるごとにあやしげな健康法を勧めてくるのだ)

かくして、ネットで調べた医院へ。

タバコの自販機の取出口に手を伸ばす(ために身をかがめる)のもままならないとのことで、同行。よくわからないが、筋肉痛だったらしい。大事にいたらなくてよかったが、そこまでになる筋肉痛って一体。
2002年8月18日(日) 怖い話
夕方から実家に。父方の叔母がスイス旅行中で、一人留守を預かっている従姉と一緒に夕食を、という企画。
母の手伝いをしていたら、いつのまにか父にパソコン部屋に拉致されている連れ。いやあ、ほんとに好かれてるな。いいことだ。

なんというか…この1週間に作った覚えのある料理が次々に。そういや、私が主に参照してるレシピは母にもらった本だった…なんかこうやって比較されるのは恥ずかしいなあ。

食後、雑談中、両親が行っている鍼治療の話になる。
100本も鍼を打ち、しかも鍼の上にもぐさを置くらしい。いや、ただ置くんじゃなく、もぐさだから火もつけて。
父「ツボの上だと気持ちいいけれど、もぐさが落ちると熱い」
と、もぐさが落ちたあとを見せてくれる……ってそれ火傷じゃないかと。
聞いていてものすごく怖かった。背中に100本の鍼が突き立ってる情景とか、その上でもぐさが煙上げてる様子とか、なんだかリアルに想像しちゃった……。
2002年8月19日(月) ううむ
とりとめもない話を続ける客に、どう対応したらよいものか。
ちょっと迷った日。
相手から話を引き出すのと、相手の怒濤の喋りに翻弄されること。相手に信頼されるのと相手になつかれるのは、どう考えても違うから。
接客業(だよな、これも…)の基本から考える必要がありそうだ。

それにしても、某S台「基本英文700選」と付属のCDを渡して「英語をさっと読んで瞬時に意味がわかるようになるようにしてあげよう」というのは、どう考えてもいかんだろう。確かに真剣にそれやったらそれなりの効果はあるだろうけど、それ以上のものじゃない。むやみに期待させるなと思う。ああこれだから営業は。
もしかしたら、なつかれたままにして自分が引っ張っていった方がよいのか。
あるいは、他の講師の指導も含めて、平均的なアドバイスが与えられるようにした方がよいのか。

迷うな…。
仕事だし割り振る人の言うなりだから「ある高校生の人生」に、それほど深く関われない。向こうは「質問に答えるマシーン」としてこっちを認識しているんだろうし。
そんな中、どんなスタンスがよいのか、未だにはかりかねている。


2002年8月20日(火) 消しすぎ
夜、父から電話。メールソフトにトラブルがあった模様。
詳しく聞くと、こういうことらしい。
・母宛に怪しげな英文メールが届いた。それも2通も。
・これはウイルスに違いない。
・以前は削除してもらっていたが、もうこの程度はできる
・ツールバーの「削除」ボタンをぷち。
・変なダイアログが出る
・とにかく削除
・母用の受信フォルダが消えた!

要するに、ファイルを選択するつもりでフォルダを消してしまったということ。
しかもフォルダ削除は取消しできない。
電話口で、新しいフォルダを作って母宛のメールを保存するフィルタを設定。
解決。

その後のこと。
私「そういえば元凶のウイルスは消せたの?」
母「もうないみたい。なんかわからないけど、でーもんなんとかって…」

    MAILER-DAEMON?

私「…あの、母さん最近どこかにメール送った?」
母「送ったわよ2通。○○さんと△△ちゃん」

    それだよ。

私「あのさ、そのメール届いてないかもよ?」


結局、心当たりのないメール=ウイルスと思い込んだ父が消し過ぎてしまったというオチでした。添付ファイル、ついてなかっただろうに…。
2002年8月21日(水) プログラム
来た。ううむ、行こうか迷うのだがかなり後ろ向き。
参ったので、とりあえず秋のテキスト作りに逃避(駄目)。

派遣先は宇都宮。合間に漢文の校正をやりながら、今日もハイテンション気味に接客。
2002年8月23日(金) 傘をめぐる一日
朝、雨が降りそうだったので、傘を持っていくことにした。
出張のためにあちこち移動するので、途中でなくしてももったいなく
ないように、これまでに買いためたビニール傘にした。

職場でしばらく仕事。その後出張。
出がけに傘立てを見る。
ない。
誰だ、ビニール傘だからって持って行ったのは。
なくしても惜しくはないが、取られるとちょっと悔しい。
そんなわけで、傘なしで出発。

宇都宮は曇り空。出張先の教室まで無事到着。
面談と授業を終えた夜8時。
ビルの出口で愕然とした。
結構雨が降っている。しかも駅までは結構遠い。
耐えながら走って行こうと思った時、さっきまで授業を
受けていた女の子2人が「傘いりますか?」と声をかけて
くれた。
「あ、でも悪いから…」と遠慮はしたが、「駅までですよ
ね、どうぞ」と、傘を貸してくれた。
駅前まで、女の子たちは2人で1つの傘、私は貸してもらった
傘で歩いていく。
ありがとう、君らええ子や…(涙)。
新幹線に乗って帰宅。最寄り駅についたら、ここでも雨。
今度は仕方ないので傘なしで帰った。

朝、出がけにきちんと傘を持って行ったにもかかわらず、いろ
んなことがあった一日だった。
2002年8月24日(土) バックアップ
連れにつき合ってヨドバシへ。つらつらと周辺機器など見ているうちに、昔取ったバックアップが今の環境では読めないことを思い出す。

SCSI接続のMOを(MOを買ったのは当時やってた某私大のTAの仕事で必要だったから)使ってバックアップを取っていたのだが、現在のマシンはSCSI対応してないiMac。これでは、いざという時に過去に書いたものが読めない。ていうか、読みたいものとかちょっと見てみたいもらいものの絵とかがあったはず。
そう思うとますます見たくなる。

方法は3つ。
1 USB対応のMOドライブを買う。出費はでかいが今後使える
2 USB-SCSI変換アダプタを買う。安価だが今時230MBのメディアしか使えない
3 SCSIに対応していた昔のマシンを使ってMOからデータを移し、連れから借りたCD-Rに焼く。タダだけどやたらと面倒

さんざん迷った末、3を選択。タダだから。

帰宅後、ビーフシチューなど作りつつバックアップ作業開始。
まず、机の周囲を片付けてスペースを確保し、引越以来1年以上触れていなかったモニタと本体を押入から引っ張り出す(このへんで汗だく)。それからMOを接続してiMacとクロスケーブルでつなぐ。
MOディスクをドライブに挿入。認識されたらiMacでマウントし、HDにコピー。
これをMO11枚分ほど繰り返す。途中で謎の接続切れや処理中断が頻発し、異様に時間がかかる。
あああ、持帰りの仕事があったのに。

とりあえず、HDへのデータ移行完了。
…続く。
2002年8月25日(日) 過去を覗き見る
昨日のバックアップデータを連れに焼いてもらう(自分でしなかったんか…)。感謝。

ふと思い立って(ていうか持帰りの仕事をやっていてキレそうになったので気晴らしに)、ニフティの昔のログなど見てみる。5、6年前ぐらいの奴だろうか。
なんだか自分が異様にハイテンションで驚く。うわ、誰、これ、私!? てなぐらいに。

思うように動けないという感覚の付きまとう現在に対して、たぶん当時が私にとって一番思うように動けていた時期になるのかも知れない。
変化していないようで、人は変化する。問題は、できなくなったことのかわりにできるようになったことがあるかどうかだけど…自分に関してはあまり思い浮かばない。
ああ、そうか。ここで「過去からの蓄積」というカードが有効になるんだ。持ってる人には。

…持ってないがな。
じゃあ、動くしかないよね。
(と、自分を追い込んでみる)

あと、過去のメールやフォーラムのログを見ていると、今だったら問題にもなっていないようなことで紛糾しまくっていたのがわかる。そうか、当時のニフティには、「匿名の荒らしや煽り」という概念そのものがなかったんだ…と、妙に納得。事例としてあったんだろうが、それがよくあることではなく異常事態として受け止められていた。
たかだか数年の間に…いや、ネットで数年は大きすぎるかな。
それがわずか数年前のこと。これは…ええと、またいずれ。
2002年8月30日(金) さすがに5人連続はきつい
かなりへろへろになりつつ帰宅。

スーパーで安くなってたイワシを買って帰ったら、連れがさばいて焼いてくれた。
魚を処理する技を覚えてもらえば、結構強力な戦力になりそうである。

会社の同期の友人から、入籍しましたハガキが届いていた。
気になってたんで、とても嬉しい。おめでとう。

Akiary v.0.50
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